脳性まひ者 しんやのひとりごと

脳性麻痺による両上下肢機能障害と共に生きる筆者が、折にふれ、浮かぶ思いをつづる。

小さないたずらのあとに…

 夜も静まりかえっていた。アパートの部屋でひとり、すのこベッドにすわって、本に向かっていた。わきの低い棚にブックスタンドがあり、読みたい本は、いつもセットしてある。
 こまかい動作ができないぼくは、それでも、手でむりやりめくろうとすると、連動して首のほうへ強い力が入る。いったん激痛が起こると、もうまったく動けなくなる。
 この運動神経の障害を、ひと言で言えば、本人とは別な意志をもった意地悪な人がひとつの体に共存していて、
「ぼくは、手をこっちへ動かしたいんだ」
「そんなら、オレは、その逆へ動かしてやる、へへへ」
「くっ、くるしい~」
 とやり合っているような感じだろうか。
 手の代わり、体全体を動かしながら、鼻やあごを使うぶんには、その症状も、いくぶんゆるくすむ。
 だからそうやって、いつでも読めるよう、本はブックスタンドへセットしてある。
 その夜も、そうやって、ページをあごでめくっていると、玄関のノック音がした。壁かけ時計を見あげると、もう夜の十一時五十八分になるところで、就寝介助のヘルパーさんがみえるころだった。
「こんばんわ~。あら、尾崎さん、床屋に行ったの~。い~ねぇ、短くなって、気持ちよさそう~。じゃ、歯磨きから、はじめますね」
 おかっぱ頭で、年のころは、四十代前半だろうか。

  ピ~ピ~ ヒャララ~
  ピ~ ヒャララ~
  ドン ドン ドン

 笛も太鼓も鳴っていないけれど、この主婦のヘルパーさんがみえると、お祭りみたいな雰囲気が漂う。
 介助が進んでいく。
「じゃぁ、手、拭くね。おっとっと…」
 動かさないようにしようと思うと、逆にますます手があちこち動く。それをようやくつかまえ、拭きながら、
「やっぱり、手ぇ動くのって、無意識なんだよね。その感覚、あたしのあたまじゃ、むずかしいんだけど、ヘヘヘ、あの蚊にさされて、無意識にかくのとは、またちがうの?」
「そうね…」
「疲れませんか?」
「そりゃあ、寝ているとき以外は、ほとんど、いつもむだな力が入っているから、ときどき横になって休まないと、もたないですね」
「なんども聞くけれど、かゆくて、かくのに、動くのとは、ちがうの?…」
「それは、まったくちがうよ。たとえばですね、もう一人のだれかが共存していて、意地悪でものすごく力を入れられたり、動かされたり、抑えられたり、そういう感じです」
「あっ、そうなんだ。わかりやすいけど、この時間に聞くと、なんか、こわいよ~」
 そのとき、ビリ、バリッと音がした。
 夜になり、気温がいくぶん下がったので、壁や柱が縮んだのだろう。ヘルパーさんは介助しながら、
「えっ、なにっ、お化け。尾崎さんの体から出てきたの?」
 ほんとうにそう信じ込んでいるようすで、キョロキョロ見まわしていた。
 ぼくは、愉快になってきた。
「そ、そうかもね…。ぼくの体の中にいるのが飽きて、飛び出しちゃったのかな」
 着替えの介助がすみ、布団をかけながら、ヘルパーさんが、
「尾崎さんは、ほんとに一人で、コワくないの?」
「平気ですよ。だっていつも、ぼくの体の中で闘っているお化けだもん。何されたって、へっちゃらだよ」
 心配顔でなんどもふり返り、ヘルパーさんは帰っていかれた。
──脳性まひでかってに手が動く感覚として、わかりやすいかな、と思ったんだけどな。時間も時間だし、このたとえはちょっと、たしかに、こわかったかもなぁ。なんだか、わるいことしたな…。
 布団の中で暗闇をみつめながら、ため息をついていると、バチが当たったのだろう。かけてもらっていた肌がけ布団が、いきなりずしんと重くなる。志田未来ちゃんのようなかわいいお化けなら歓迎なのに、
「ひひひ~」
 ぼろ布をまとったじいさんか、ばあさんか。顔が汚れていてわからないが、ホームレス、というより、むかしの乞食といったほうがしっくりくる。
「ひょえ~」
 不気味に見おろしていた…。