脳性まひ者 しんやのひとりごと

脳性麻痺による両上下肢機能障害と共に生きる筆者が、折にふれ、浮かぶ思いをつづる。

アボガドが食べたくなって

 割りばしをつけたサンバイザーをかぶって頭を動かし、ひとつひとつキーを押していく。
 脳性まひ、という障害で手足が不自由なので、部屋でパソコンに向かうときは、いつもこうして操作する。
 少なくなった食材を買いに、近くのヤマザワスーパーへ出かけてきたばかりで、昼少し前だった。
 キーボードの手前に並べてもらったレシートの内容を家計簿ソフトへ入力していく。
 キッチンのほうから、
「尾崎さん、生わさびの賞味期限、切れてるみたいですけど…」
 ぼくは部屋から、
「えっ、ほんとですか。あらら…。わっかりました。それじゃ、捨ててください。ついでにほかのも確認しててもらえますか」
 いっしょについてもらって買ってきたものを、キッチンで、冷蔵庫へ片づけてもらっていたヘルパーさんの声だった。
 目がパッチリで首が長く、ひょろりとした二十代半ばの青年である。見あげると、どうしてもある動物が目に浮かんできて、込み上げてくるものをこらえられなくなる。
「何か、おもしろいこと、ありました…」
 いつだったか、とうとう聞かれてしまい、それに答えないわけにはいかなくなった。
「すみません、あのですね、下から見あげていると、どうしても〈キリンさん〉にみえてきて…」
「ハハハ、なるほど、友だちからも、首、長いって、よく言われます」
 同じOという事業所からみえるヘルパーさんのほとんどが、ぼくとのやりとりでは、彼のことを、〈キリンさん〉と言うようになっていた。
──アボガドが食べたい。
 刻んで納豆とまぜ、ご飯にかけてもおいしいけれど、なぜか無性に、わさびじょうゆで食べたい気分だった。
 ほかにも、
「こうすると、おいしいの」
 知り合いや何人かのヘルパーさんにも、いろいろ教えてもらっていた。
 平成二十三年八月十九日、曇り空がひろがり、朝には雨が降っていたけれど、昼近く、スーパーへ出かけたときはもう小ぶりで、帰ってくるころにはあがっていた。
 役所へ出さなければならない書類がある。手が利かないので代筆で記入してもらっていた。説明をどう読んでも、わからないところが二か所あった。あとは役所の人に頼めば、書いてくれるだろう。昼すぎに出かける予定にしていた。
──もういちど、帰りにスーパーへ寄って、生わさび、買ってこようっと…。
 十二時半に昼のヘルパーさんが帰るので、その前に玄関から電動車いすへ再び移してもらう。
「それじゃ、尾崎さん、お気をつけて…」
 ヘルパーさんが車で帰ってから、ぼくはひとり、区役所へ向かう。長町南仙台市)のぼくのアパートから電動車いすで十分ほどのところである。
 エレベーターへ乗るのに、ボタンを押そうとすると、手足がドタバタ動き出すのは、運動神経に関わる障害のためである。いつもより症状が強いようで、首や肩が痛んでくる。ようやくひじでねらいを定め、ボタンを押す。ところがである。
 あれ、ランプがつかない。首をかしげていると、四十ぐらいの女の人が、もうひとつのほうにいて、
「…あのう、ですね。節約のため、そちらのほうは動いてないんです。よろしかったら、こちらへお乗りになりますか」
 よく見ると、片方だけランプが消えていた。
「あっ、そうですね。ありがとうございます」
 乗り込むと、ボタンを押してくださり、三階へ着いた。
「え~と、障害者サービス関係の窓口は、左だったな」
 方向音痴のぼくは、壁の標識をみながら進んでいく。
 午後の一時前だった。まだ昼休みかと思い、電動車いすをはじっこへとめて待とうとしていると、
「どんなご用件でしょう」
 声をかけてくれたのは、その課の職員さんらしかった。
「障害者特別手当にかかわる現況届の書類を、書いてもらってきたんですが、どうしてもわからないところがありまして…」
 何度かやりとりして、その用は、すぐに終わってしまった。
 次のヘルパーさんがアパートへ訪問するのは、午後の二時三十分である。それに合わせて戻れば、電動車いすから中へ移乗してもらえるのだが、スーパーへ寄るにしても、まだ時間があった。
 長町南の中心部の店は人で込んでいて、電動車いすでよけながら進んでいくのに強い力が入ってしまい、首や肩が痛くなってくる。
 木陰の歩道のはじっこに電動車いすをとめ、しばらく休む。いつも食材を買うヤマザワスーパーへ入った。
 品物を整理していた店員さんに、声をかける。
「あのう、すみません。ちょっとお願いしたいんですが…」
「なんでしょう」
「生わさびを、買いたいんです。棚からとってもらえますか」
「はい? 生姜ですか」
「いえ、わさびです」
 舌がもつれ、ことばがはっきりしないうえ、手足がドッタンバッタン、意に反して動き出す。はじめは店員さんをびっくりさせてしまったようだが、何度かくり返し、言葉が通じた。にっこりしながら、
「生わさび、ですね。かしこまりました」
 わかってもらえると、ぼくもうれしくなってくる。店員さんは棚からとって、目の前に差しだし、
「三種類、あるんですが、どれにいたしましょう」
 見てもちがいがわからないので、
「普通ので、お願いします」
「これですね。かしこまりました」
 それを膝においてもらった。そのまま電動車いすでレジへ行き、財布からお金を取ってもらう。
 やった~。これで、アボガドが食べられる。
 お礼を言って、店を出た。
 アパートへ戻ると、体じゅう、汗だらけだった。午後の二時半のヘルパーさんにTシャツも取り替えてもらう。
 首と肩の痛みが強いので、しばらく横になって休むことにした。
 午後五時三十分に玄関のノック音がして、四十代の主婦のヘルパーさんがみえた。
「夕飯は、何にしましょう」
 考えていた献立を伝え、例のものもおかずに加えてもらった。
 アボカドは、薄く切り、皿へ並べる。わさびじょうゆにつけ、手が利かないので、箸で口へ運んでもらう。
──うまい!
 五ヶ月も前は、避難先で、おなかをすかせていたものだった。それまでは、当たり前の日々が流れていた。四十歳をいくつかすぎたぼくも経験したことのない〈東日本大震災〉だった。いつ、どうなるか、わからない、ということを、だれもが胸に刻んだことだろう。
 アボガドは、果物なのだろうか。脂のとろけぐあいも、まぐろのそれと変わらないのがふしぎだった。
 ささやかだけれど、食べたいものが、すぐに食べられるいまのしあわせを、そっと思う…。