いつも迷うのです
重い障害があっても、ひとり暮らしできるんですね。よく言われるけれど、ぼくは、
「ひとり暮らし」
を期待していたのではなく、
「地域での生活」
というかたちを選んだのだ。選べない人の手が必要である以上、日々の暮らしもなかなか思うようにいかないときもある、と想定していたからだ。
すると、ぼくについた男のヘルパーさんが、相手の人についていた女のヘルパーさんへ、なぜかいきなりバカでかい声で、関係ない話をはじめ、とまらなくなる。かんじんの相手のことばが聞こえない。みると、さびしげな表情になっていた。くたびれただけだった。ほかのヘルパーさんに、さすがにあれはないよ、と話すと、
「う~ん、どっちが利用者なんだか、わからないよね」
そう思って、あとで注意し、わかってもらえた。けれど、すぐに辞めて、新しいヘルパーさんに入れ替わる。
また同じことが起きてしまうか。言わなくても、当たり前、と思い、気分を害されるか。
あらゆる面でそういう迷いがある。
「ヘルパー手足論」
なんて、よく本で読んだり、テレビで流れたりした。次々入れ替わる介護者を、そこまで育て続ける体力なんて、みんながあるわけではなかろう。向き不向きだってあろう。そんなエネルギーがあったら、自分は思う活動にこそ使いたい。もちろん冗談を言いあうなど、心をゆるせる仲になった介護の人もいる。しっかりしたヘルパーのほうが多いのはいうまでもなく、救いである。
グチのようになってしまったけれど、後ろ向きの気持ちではない。難病や重い障害があっても、人としての誇りをもち、いきいきと活動ができる社会にしていくには、〈上から目線の福祉制度のありかた〉〈介助者の職業意識の質〉〈介護事業所に人が集まるよう〉いまある問題をなんとかしていかなければならない。つたない文でも、伝えていかなければならない。冴えないオッさんが、いくらかでも役立てるのは、こういうかたちしかないから…。