脳性まひ者 しんやのひとりごと

脳性麻痺による両上下肢機能障害と共に生きる筆者が、折にふれ、浮かぶ思いをつづる。

いつも迷うのです

 重い障害があっても、ひとり暮らしできるんですね。よく言われるけれど、ぼくは、
「ひとり暮らし」
 を期待していたのではなく、
「地域での生活」
 というかたちを選んだのだ。選べない人の手が必要である以上、日々の暮らしもなかなか思うようにいかないときもある、と想定していたからだ。
 何年か前の話を例とする。車いすの知り合いと外で食事をするために、外出介助のヘルパーを頼んだ。店へ入り、席に着く。机を挟んで、ことばの不自由な車いすの知り合いの話に、耳を傾ける。
 すると、ぼくについた男のヘルパーさんが、相手の人についていた女のヘルパーさんへ、なぜかいきなりバカでかい声で、関係ない話をはじめ、とまらなくなる。かんじんの相手のことばが聞こえない。みると、さびしげな表情になっていた。くたびれただけだった。ほかのヘルパーさんに、さすがにあれはないよ、と話すと、
「う~ん、どっちが利用者なんだか、わからないよね」
 そう思って、あとで注意し、わかってもらえた。けれど、すぐに辞めて、新しいヘルパーさんに入れ替わる。
 また同じことが起きてしまうか。言わなくても、当たり前、と思い、気分を害されるか。
 あらゆる面でそういう迷いがある。
「ヘルパー手足論」
 なんて、よく本で読んだり、テレビで流れたりした。次々入れ替わる介護者を、そこまで育て続ける体力なんて、みんながあるわけではなかろう。向き不向きだってあろう。そんなエネルギーがあったら、自分は思う活動にこそ使いたい。もちろん冗談を言いあうなど、心をゆるせる仲になった介護の人もいる。しっかりしたヘルパーのほうが多いのはいうまでもなく、救いである。
 グチのようになってしまったけれど、後ろ向きの気持ちではない。難病や重い障害があっても、人としての誇りをもち、いきいきと活動ができる社会にしていくには、〈上から目線の福祉制度のありかた〉〈介助者の職業意識の質〉〈介護事業所に人が集まるよう〉いまある問題をなんとかしていかなければならない。つたない文でも、伝えていかなければならない。冴えないオッさんが、いくらかでも役立てるのは、こういうかたちしかないから…。