車いす者の気持ち
車いすを押してもらい、街のイベントなどへ出かけると、見ず知らずの人が声をかけてくださる。
うれしいお心づかいをいただいたときは励みになるが、とたんに気が重くなることも多い。たとえば夜などデッカい声で、ヘルパーさんのほうだけに、
「この車いすの人のために、こんなところへ、こんな時間まで~? たいへんですわね~~~! お~っほっほっほ」
こんな声がけが続くと、やっぱりへこむし、人を頼んで出かけるのも、おっくうになってくる。
ダンナさんを連れたご年配の主婦といった感じで、けっして悪気があるわけではなかろうが、なにしろこういう人にかぎって声がデカい。
車いすのぼくの気持ちを察してか、そっといっしょにいやそうな顔になって、少し遠くから見守ってださっている知らない人もいた。
ぼくは体に障害があって、手をかりなければならない身だけれど、もう四十代の大人である。まあ、いいや、となんとか切りかえる。
もしもである。車いすに乗っているのが、年ごろの男の子や娘さんだったら、傷つかないか。哀愁漂う冴えないオッサンの寂しさを、いつも癒やしてくれているあこがれの女優さんをも浮かべ、首をふる。
なんでもないふりをしながら、心のうちで、――なんなんだ、この無神経オバはんは…、と、ため息をつく。
この主婦の方だって頭ごし、連れへ言われていたら、平気でいられるのだろうか。
「あらまあ、この奥さんのために~、こんなところへ、こんな時間まで~? ダンナさまも、たいへんですわね~~~。お~ほっほっほっ」
あくまでも、にこやかに…。