心の元気
ストローをさして座卓においてもらった酎ハイをすすりながら、ひとりでぼやいていたりすることがある。疲れがたまっているな、と感じるとき、あえてそうしてみると、いくらかは気がラクになってくるからだ。
入浴介助のヘルパーさんがみえ、風呂につかり、上がったあとは、部屋でひとり、静かに過ごせるひとときだ。
いつも人と関わっているあいだは、ムリをしてでも、つとめて笑顔をつくっているもの。そこには、相手への気づかいだってあるだろう。
だからぼくは逆に、にこやかな顔をしている人に会っても、ただそっと笑顔で返すだけだ。
けれど、そうしていると、ときどき、
「しあわせそうで、うらやましい」
そして、これまで自分がどんなに苦しんだか、という話をきかされることもよくあったりする。
少し嫌気がさして、
「ほかの人のことは、自分も含めて、しあわせにみえる。そんなもんじゃないでしょうか…」
やんわり言うと、
「それも、そうね」
気づいてくれる人も多い。
──だれだって、みえないところでは、たいへんな思いをしながら生きているんだ…。
けれど、わかってもらえない人もいる。そういう人の言うことは、それはそれで聞き流し、やり過ごすしかなかろう。
重い障害の人は介助者と、そして健常の人は仕事の場で、選べない人との関わりがある。そこで、心ない人と出会い、傷ついて悩んだりすることも、ときにはだれだってあるだろう。めんどうくさい、という思いだってしているはずだろう。
ストローで酎ハイをすすりながら、体に障害を抱えて生きてきた年月をふり返り、しみじみ思う夜もある。
──障害があってもなくても、みんな、おんなじさ…。
ひとり、苦く笑う。
──人の命なんて、どうせ短いもの。いいことだけ受けとめ、前だけ見ていよう。
気分が落ちつき、われに返る。
みつめていたテレビからドラマのシーンが飛び込んでくる。
「なんか、〈ごくせん〉と似ている…」
新任早々、荒れたクラスを任されながら、それを受け入れ、全力を尽くし、もがく姿があった。
ナンバーワンのキャバクラ嬢として働いていたおネエさんが、ひょんなことでその地位を離れ、高校の先生へ転職することになった。
店へ通っていた客の中に、例の高校の校長先生がいたのか。荒れたクラスの生徒たちをもてあましている、ということをママに愚痴っていた、ということだろうか。あるいはちがうかもしれない。いずれにしても、店のママに、
「うちでナンバーワンのあのコなら、なんとかしてくれるかも…」
あるいは、
「もっとほかの場所で成長できるコ」
という思いがあり、話を持ちかけられ、考えて決断した。そんないきさつか。
缶酎ハイと梅酒をストローですすっているうち、体の苦痛も、だいぶラクになった。
脳性まひ、という運動神経にかかわる障害で、ときどき手が、思わぬほうへ動く。強い力がかってに入り、息苦しかったりもする。
けれどアルコールの酔いがまわってくると、その症状がやわらぐのだ。気分も晴れてくる。
みているドラマにも集中でき、より楽しめるようになってくる。気がつけば、四十三歳の冴えないオッさんも、美人の女先生へ、
声援を送りながら、いつしか心の元気を取り戻す…。