ピアノの調べに癒されて…
甘く澄んだ弦の音が、響きわたっている。いつしかまどろみながら、ぼくはコンサートホールの車いす席で、じっと耳を傾けていた。
目をとじていると、雪をかぶったもみの木の林にレンガの家がぽつんとあらわれる。窓にペチカの灯が揺れる。幼いころ、紙芝居などでみた風景かもしれない。
ピアノの調べと共に流れていく幻想に身を委ねていると、
「きれいでしょ」
女優の小雪さんがアップであらわれ、ニコリとした。
はっと、そこで目が覚めた。
グランドピアノが舞台中央で、スポットライトを浴びている。やや小太りな背広姿の外国人男性がいすに座り、向かって弾いている。年のころは、三十代半ばだろうか。どちらかというと、まるい顔にコロッとした目のソフトな顔立ちだ。
うっとりする音色を奏でているのは、アレクサンダー・ライチェフという、ブルガリア出身のピアニストさんだ。
平成七年に当時の総理府が、十二月の三日から九日までを〈障害者週間〉としてから、それにちなんだイベントが、催されるようになった。
障害のあるなしに関わらず、いっしょに生きる仲間としてお互いを理解し、あらゆる分野で共に支え合って活動していける。そんな社会への願いが込められている。
演奏会もその一つで、ぼくが聴いていた会場は、仙台市泉区のイズミティ21の小ホールだった。
脳性まひ、という運動神経にかかわる障害がぼくにはある。自分の意思に関わらず、ひとりでに強い力が入り、手足がときどき動き出すことがある。ことばがうまく話せなかったりするのもそのためだ。
身のまわりのできないところを、いろんな人に支えられながら、ぼくは地域でアパートを借りて暮らしている。
「ピアノのリサイタルの招待券があるんだけど、よかったら、聴きに行ってみませんか」
メールが届いたのは、二週間ほど前だったろうか。ボランティアの派遣などでお世話になっている肢体不自由児(者)協会、というところで働いているYさんからだ。
平成二十二年十二月三日の午後、学生のボラさんがそこからの派遣で二人みえて、出かけたのだった。
小ホールの車いす席から、あたりを眺めまわす。
体の不自由な人、車いすのお年寄り、それに小学生、中学生ぐらいの子がちらほらいた。健常の子は、何かの事情で、養護施設にいるのか、あるいは母子家庭の子たちだろう。
「世界一流のすばらしい音楽を、そのような方々へじかに届けたい」
障害者週間にちなんだこのイベントには、そんな思いが込められているのらしい。
ショパンのピアノは、日ごろストレスがたまってくたびれたようなとき、自分の部屋で、たまに流していたりする。
ひとり暮らしの木造アパートで出せる音は、高音からせいぜい中低音といったところだろう。重低音が出てしまうと、壁などが共鳴し、近所迷惑になるから、そのへん気にしながら聴いている。さいわいいまのところ苦情は来ていない。
それからすると、コンサートのホールでの生演奏は、やはり迫力があった。
会場を出て、アパートへ帰る。そのあいだも、耳の奥で、ずっとピアノのメロディーが流れていた。
就寝の介助のヘルパーさんがみえ、布団をかけ、電気を消していく。暗い中で、
「きれいでしょ」
とほほえむ小雪さんがちらつく。
ピアノの調べを聴きながら、いつしかぼくは、眠りについた…。