脳性まひ者 しんやのひとりごと

脳性麻痺による両上下肢機能障害と共に生きる筆者が、折にふれ、浮かぶ思いをつづる。

優しさに救われて

 平成二十二年十月三十日、窓からみえる空は、雲が広がっていた。
 ピアノのCDを流しながら、アパートの部屋でひとり、座布団にすわって、パソコンに向かう。
 手がうまく使えないので、割りばしをつけたサンバイザーをかぶり、あたまを動かしながら、それでキーを打つ。
 あたまを振りつづけていると、首や肩が痛くなるから、その前に休む。
 無理にしていれば、首や肩に激痛が起きて、動けなくなるからだ。
 それに加え、知らないうちに手足がどったんばったん動き出す症状もある。
 いつだったか電動車いすで進みながら、店の品物を眺めていた。そのとき片方の腕がだらんと伸びていた。
 だれかがわきにいるのに気がついた瞬間に腕が上がった。
 スカートをはいた中学生ぐらいの女の子が立っていて、いまにも泣きそうなようすだった。
「す、すみません…」
 急に手が伸びてくれば、だれだってびっくりしてしまうだろう。
 電動車いすを操作し、それ以上女の子を不安にさせないよう、静かに離れた。
 気を抜いていると、なにかのはずみで手や足が思わぬほうへ行ってしまうこともよくある。ときには、
「だいじょうぶですよ。びっくりさせてごめんなさい。わたしも小学生のころ、みじかい時間だったけど、障害のある子といっしょに遊んだことがあるんです。わかってますから…」
 そう言って、スカートにからまってしまった手を、ゆっくりはずしてくれた人もいた。
 一瞬生きた心地がしなかったけれど、いい子でよかったと、そのとき救われた思いがした。
 ぼくの体はずっと力が入り続け、手や足が、ときどきひとりでに動く。
 そして健常の人なら使わない部分の筋肉が使われ、しだいに体がバランスを保てなくなってくる。
 まだ障害者施設にいたころ、急に激痛がはしって首がまったく動かなくなった。
 リハビリの先生に半年ぐらい揉んでもらって、さいわい動くようになったけれど、それもラッキーなことだったらしい。
「尾崎くんの障害は、いつも体じゅうに強い力が入ってしまうんだな。十代や二十代だったら、多少の無理は利くんだけど、三十代過ぎると、それが体のゆがみになって出てきてしまうんだな…」
 寝たきりになっては元も子もないので、それ以来、なるべくリラックスしている時間をなんどか作るようにした。
 パソコンに向かうときも、根を詰めないように、すきな音楽を流しながらやる。
 そんなふうに気をつけるようになってから、激痛で何週間も動けない、ということはなくなった。
 障害者施設を出て、地域のアパートを借りて暮らすようになってから、気がつけば、あと少しで三年になる。
 いろんな人に支えられ、助けられてきた。
 電動車いすで町中を進んでいると、すれちがうとき、にっこりし、
「バイバイ」
 と手を振っていく小さな女の子になんどか会った。
 店の中では四つくらいの男の子だろうか。そばを通ると、品物を物色している母親から離れて、車いすの横にくっついて歩きはじめた。
 電動車いすに乗ったオッさんが、迷っているようにみえたらしい。
 にっこりし、
「だいじょうぶだよ」
 運動神経にかかわる障害で言葉がはっきりしないぶん、ゆっくり伝えた。
 男の子はにっこりしながら、ぼくが行こうとしているほうへ、前かがみになって手のひらを上にして向けた。ホテルマンが客を案内するときの仕草をして、母親の元へ戻っていった。
 幼い男の子のやさしさが、じんわり胸に伝わり、
「ありがとう。オッさん、負けないよ」
 小さな背中をみつめながら、そっとささやいた…。