脳性まひ者 しんやのひとりごと

脳性麻痺による両上下肢機能障害と共に生きる筆者が、折にふれ、浮かぶ思いをつづる。

きびしい冬をのりこえれば…

 やわらかな日射しが、ベランダの窓のレースのカーテン越しにさし込んでいる。
 朝の訪問のヘルパーさんが八時半で帰ってから、ぼくはひとり部屋で、いつものようにパソコンで用を片づけていた。
 銀行の入出明細をネットからパソコンに取り込み、そのデータを家計簿ソフトに打ち込んでいく。
 居宅介護サービスの、新しい受給者証が、役所から届いていた。それの連絡が必要なところへメールを送っていたが、届いたのかどうか。残りふたつの事業所から、まだ連絡がない。たぶん、忙しいのだろう。あとで、電話でもしてみよう…。
 ひとつひとつ用を片づけていると、ふと数羽のカラスが鳴いているのに気づいた。プラスチックのゴミ出しの日で、朝みえたヘルパーさんに、集積所へ運んでもらっていた。もしかするとカラスは、あちらこちらから、餌をあさりにそこへ集まっているのかもしれない。
 しっかりしたこわいろで鳴くもの、少し調子っぱずれ、かったるそうに鳴くもの。それらの鳴き声を聞きながら、しみじみ思うぼくがいる。
 カラスだって、きびしい状況で生きていくために、みんな必死なんだ。
 ぼくも脳性まひ、という運動神経の障害で、口がうまくしゃべれないぶん、自分の思いを伝える手段をもつために、しにものぐるいだった時期もあった。
 おかげでパソコンを使えば、時間がかかっても、なんとか自分の思いを文というかたちで表せるようになった。
 ふり返ると、むかし、追い込まれた状況で自分を守ってくれたのは、文というかたちで、しかるべきところへほんとうのことを伝えることができたからだった。
 口がダメでも、思いを文というかたちで伝える手段のあるぼくは、まだしあわせなほうではないかと、ときおりしみじみと、思い出すあのころもある。
 体に障害のあるなしにかぎったことではない。
 学校や職場で起こるいじめの問題にしても、そうだろう。本人が勇気を出して、闘わなければ、だれも助けてはくれないし、そこから前へ進めない。そんなふうに思ったことが、少なからずある人もいるはずだ。
 体の障害がぼくより重い、ほとんど寝たきりだった先輩が、ふと呟いたことがある。
「おれは文章なんてわかんないけど、おめえはワープロ使えば、なんとかうったえられるんだ。しゃべるのにハンディあっても、ちゃんと武器もってるんだからな。だいじに磨いていけよ」
 ずっとむかしの話だが、これまでくじけそうになったとき、ふいによみがえり、支えてくれたメッセージだった。
 いくら努力しても、あいかわらずへたな文しかかけないぼくだけれど、あのころより、少しはわかりやすく、自分の思いが伝えられるようになっただろうか。
 アパートの玄関のドアを叩く音がして、われに返ると、もう次のヘルパーさんがみえる時間になっていた。とっても元気のいい四十代の主婦のヘルパーさんだった。意味ありげな笑みを浮かべていたが、
「おはようございます。よろしくお願いします。ねえねえ、尾崎さん、知ってましたぁ、きょうは山Pの誕生日ですぅ。どうでもいい話ですけど、フフフ」
 内緒話のようにあとのほうは声をひそめていた。ぼくもにっこりしながら、
「なるほど。山Pって、NEWSの山下智久くんですよね…」
 ヘルパーさんはなんだかうれしそうに、
「そう、そうなの。もう二十五歳になるんだって」
「えっ、ほんとに?」
 きょう、平成二十二年四月九日は、山下智久さんの二十五回目の誕生日なのらしい。なぜかぼくも、山Pの話で、いつのまにかヘルパーさんと盛りあがっていた。
 買い物の用があったので、そのヘルパーさんに玄関から外の電動車いすに移らせてもらった。ダウンジャケットを着せてもらっても、ときどき吹いてくる風は、まだ冷たく、冬用の上着で正解だと思った。
 けれども、ぼくのアパートの玄関向かいの家の庭にある梅の木の花がひらいている。その鮮やかなピンクにひかれ、電動車いすでそばへ行って、しばし見入っていた。
 地面のところどころには、紫や黄色、白い草花がゆれている。きびしい冬があるからこそ、春の花は、きれいに咲くのだという。たぶん、作家の五木寛之さんの本だったか、そんな話があったのを読んだおぼえがある。
 春の風の吹くなかで、鮮やかなピンクに染まった梅の花は、みているだけで、心が洗われるようだった。
「わたし、こんなにきれいに咲けたんだよ」
 うれしそうにささやく少女のような声が、どこからか、聞こえた気がした。