はぐれカラス
数羽のカラスが鳴きながら、長町南のぼくのアパートの空を飛んでいく。
どこでもよく聞かれる、カラスの鳴きごえだ。と思うと、群れからはずれ、かったるそうに鳴くカラスがいる。
スーパーがあり、家々が並ぶ。道路には行き交う車もない、しいんとした時に、その声が響くと、間の抜けた空気が一瞬、この町を漂う。
あのカラスは、何を思って鳴いているのだろう。
「いやんなっちゃうよぉ~」
「こんなことやって、なんの意味があるんだよ~」
と思いながら、何かをやっている。はじめから、やらないと、きっぱりした態度でいればいいのに、困ったようすを前にすると、つい「はい」と言ってしまい、決まって後悔する。
その経験の一つ一つが逆に、自分にむかないものを一つ一つ教えてくれた。かすかな光が差すように、だんだん自分、という人間がみえてきた。あのカラスの鳴きごえに、人の要求にきっぱりした態度がとれないで、心のなかで嘆いていた、どっちつかずのむかしの自分を重ね、しばし、たそがれた。
「尾崎さんは、友だちと連絡とったりしているんですか?」
「友だちと、会うんですか?」
「友だちは、たくさんいますか?」
連呼するみたいに「友だちは?」と言われると、逆に違和感をおぼえ、はっきり言ってやりたくなる。
「友だちは、いるなら、いるでいいし、いなけりゃ、いないで、なんとも思わないですね。それなりに日々を送るだけですよ。友だちが多いのはどっちかと言って、言い争っている人も、たまにいたりするけど、ぼくにはさっぱりわかりませんね」
するとときどき、ぼくは四十二歳だけれど、ちょっと上の人に言われることがある。
「フキン、ですか?」
なんでぼくをフキン、と言う人が何人もいるんだ。そのたびに首をかしげていたが、どうもちがうらしい。
何となく、調べてみる。麦藁帽をかぶり、パイプをくわえ、子どもなのか、大人なのか、よくわからないキャラクターだ。幼いころ、絵本でみたことがあると思った。
自由と孤独、音楽が好きで、必要なもの以外はもちたくない。何か創作しているときに声をかけられ、気が散るのもいやだ。