脳性まひ者 しんやのひとりごと

脳性麻痺による両上下肢機能障害と共に生きる筆者が、折にふれ、浮かぶ思いをつづる。

学生さんの訪問

 割りばしをつけたサンバイザーをかぶり、あたまを動かしながら、パソコンのキーボードを打って文を作る。
 運動神経の障害で手指が思ったように動かないぼくは、マウスが扱えないので、トラックボールを使っている。腕をそのボールに乗せ、体のほうを動かし、パソコン画面のカーソルの位置をコントロールする。手だけを動かそうとすると、よけいな力が入りすぎて、あらぬほうへ動く。思わぬリンクがクリックされてしまうのだ。
 東北工業大学一年生の女子学生さん二人が、ぼくがパソコンを操作するときのやり方をまねしてやってみたが、なかなかうまくいかないようすだ。
「う~ん、あれっ、名前がなかなか打てない。尾崎さんのまねして、じっさいやってみると、首とか肩にきますね…」
 パソコンの操作に悪戦苦闘しているのをみていて、クスッとなりそうなのを押さえながら、
「なれないと、このやり方は、たいへんでしょう」
「すごく、たいへんです。尾崎さんも、こうやってパソコン打ってて、疲れますよね」
「体もですけど、ときどき神経も疲れたりするんで、リラックスできる音楽を、低い音量で流してみたりしています」
「いろいろ、工夫されているんですね」
 学生さんはそう言ってうなずいた。
「こんど尾崎さん家に行くとき、カレーライスを作らせていただこうかと思って、いま練習してました」
 ボランティアの派遣など、こまったときに相談にのってもらっているS協会のSさんの紹介で、それからときどきメールでやりとりしていた学生さんたちである。きのうは午前中にみえ、作ったカレーをいっしょに食べながら、料理のできばえを、ああでもない、こうでもないと話していた。
 食事介助など初めてでも、それはそれで、ぼくのほうはかまわない、と思っている。言葉が聞きとれなかったときは、もう一回、と言ってください。そうはじめに言っておき、あとはやり方を自分で説明しながら、介助をしてもらえばいい。ボランティアさんは、多少の時間は融通が利く場合が多いからだ。
「食事の介助は、こんな感じで、だいじょうぶですか」
「ええ、適当に、口へつっこんでください」
「つっこんでくださいって…」
 学生さんたちが笑うと、ぼくはほっとする。介助体験のときもせっかくなので、少しでもリラックスしながらすごしてもらったほうがよい。障害の部分以外のところも含め、ひとりの人間として、いろんな人をみてもらえればと思うからだ。関わった学生さんは、卒業すればいろんな会社に就職するだろう。それぞれの場で、バリアフリー化が進んでいくことも、ほくは期待していたりする。
 人は、ひとりでは生きていけない、とはよくいう言葉である。福祉だって、一部の人だけに恵んでやるしくみ、と考えるのはおかしい。障害のあるなしではなく、こまった状況はだれでもあるものだ。子どもも高齢者も、働いている人も、病気でいる人も、それぞれの生きがいを見つけて日々の活動ができるよう、すべての人が支え合って生きている。それが本来目ざすべき福祉のかたちだ、とも思う。
 ぼくも外へ出かければ、手をかりるのは、慣れた人ばかりではない。通りかかった人にも声をかけて助けてもらう。だから、あえて慣れていない人に自分で説明しながら介助をしてもらうのも、ぼくにとっては伝え方の勉強にもなる。
「それにしても、静かな音楽を聴きながら、こうやって食べたりするのも、なんか、いいですよね。中学のとき、校内放送で、こういう音楽が流れてましたね」
 学生さんが言いながらカレーライスを口へ運んでくれていた。ぼくはパクパクしながら、
「学校で流れていた曲は、その日によってちがったり、するんですよね」
「そうですね…」
 話しのやりとりも、さらりさらりとしていて、ぼくもホッとしていられた。ゆったりした気持ちで過ごすことができた。学生さんたちのほうで、気を使ってくれていたのかもしれない。
 こだわりの材料を持ち込んで、時間をかけてコトコト煮込んで、学生さんたちが作ってくれたカレーライスが、すごくおいしかった。
 お礼のメールを送ると、次回の料理も楽しみに、そう返事が届いていた…。