脳性まひ者 しんやのひとりごと

脳性麻痺による両上下肢機能障害と共に生きる筆者が、折にふれ、浮かぶ思いをつづる。

いつか わが身…

 障害をもつ当事者の集まりが先日あって、ぼくもそれに加わった。障害者やその支援者の現状を、なんとかわかってほしい。そんな思いから、大勢の仲間が集まり、仙台の中心街を、デモ行進した。
「私たち抜きに、私たちのことを、決めるな!」
 自立支援法、という法律が施行されたときの、政府の進めかたを訴える叫びだ。当事者の現状や気持ちを理解しているとは思えないと、生活に困っている仲間が大勢いる。
 本人たちの思いを抜きにしたところで決められた法律の、どこが自立支援法なのか…。
 幼いころの日々が、心に浮かんでくる。
 身の周りのことがほとんど満足にできず、言葉もうまくはしゃべれなかったぼくは、気がつくと、家族や近所の友達と離れ、白い壁に囲まれた施設のベッドにいた。
 そこで、どう過ごすかは、本人のいないところで決められた。
 ある日突然に、一日のプログラムががらっと変わる。職員の態度も変わる。身も心も、きつくて、寂しくて、こんな日々がずっと続くのかと、子ども心に生きる希望もみえなくなった。
 体調を崩すと、このまま重症なって早く楽になりたいとさえ思えた。いつも不安におびえながら過ごしているだけの日々、そんな時期もあった。
 いつも高いところで、知らないうちにいろんなことが決められた。
「あなたのことは、あなたよりも、わかってるんだから!」
 おそらく日本の福祉は、いまも、そんな高いところからの発想しかない人により、いろんなことが決められているのだろう。
 けれども……。
 店の並ぶ歩道から視線を感じ、ちらっと見た。
 家族づれや、学生さんたちが、足をとめていた。この人たちのなかにだって、きっと自分の身に置き換えながら、見守ってくれている人もいるはずだ。
 いまは健康でも、明日は事故にあって、体が不自由になるかもしれない。突然の病気の後遺症で、言葉が出なくなるかもしれない。そうなっても、ほこりをもって生きていける社会になってほしいと……。
 あれからぼくは大人になって、さらに年を重ねた。そしていまは、そう信じてみようと思うようになった。
 ぼくも、テレビの画面に流れる、いろんな犯罪や事件を見るときは、他人事とは思わない。
 ぼくだって、悲惨な状況に追い込まれてしまったら、いくら自分はやらないと思っても、いざそうなると、最悪のことをしてしまうことも、ないと言いきれない。優しさや、思いやりのない社会では、体ばかりが満足でも、心は荒んでしまうと思うからだ。ほかの人の身に降りかかった事件だって、関係ないではすまされない。
 いまはサラリーマンの人も、学生さんの人も、スポーツマンの人だって、時とともに移り変わってしまう。どんな姿や境遇になっても、命あるかぎり生き生きとしていられる社会であってほしい。そう願う気持ちは、誰のなかにもあるはずだ。
 人の痛みを、あすはわが身と置き換えてみる。障害のあるなしではない。ぼくも人として、それは、忘れてならないのだ…。