脳性まひ者 しんやのひとりごと

脳性麻痺による両上下肢機能障害と共に生きる筆者が、折にふれ、浮かぶ思いをつづる。

宝さがし

 おはようございます。
 コロナ禍になって数年は、生きていくうえで大切にしていたものが、ひとつ、ひとつ、またひとつ、天から取り上げられたようで、戸惑う日々を過ごしていました。
 何か発信するといっても、不平、不満、愚痴、泣き言になるんで、発信は休んでいました。体調が、どうこうではないのです。
 気にかけて連絡してくれる人がぼくにもいるんだなぁ、と元気をもらえたことがありました。ふんばるぞ、と思いましたね。感謝です。
 ぼくが大切にしていたのは、なにか。
 まず、介助者がつかないで、電動車いすで町を散策することです。それができなくなりました。マスクをしなければならず、ずれたり外れたりすると、不自由な手では直せません。

 ひとりで散歩していると、通りすがりの人が、
「きょうは、あったかいね」
 とか、
「買い物ですか?」
 とか、ほんのひと言でも、あいさつていどの言葉を交わすだけなのですが、それだけで、がんばる勇気が湧いてきます。
 介助者といると、介助者のほうにばかり声をかけてお話ししている人が多くなります。そんなときは話が終わるまで、こちらは静かに待っています。そうせざるを得ない空気があります。
 たぶん、ひとりでいるとき声をかけてくれる人と、介助者にたいへんですねぇとかしゃべっている人とでは、意識のちがう、別々の人じゃないか、とぼくは思ってみたりします。知らないことは、誰にでもあり、どちらがいいとか、わるいとかはいえません。
 なくなった近くのスーパーも、地域の人とふれあえる場でした。品物を棚に並べている店員さんにも、仲よくしてくれる人がいて、お互い、うしろから「オッハー」とおどろかせあって、遊んでいました。そういうときは、子どもに返った自由な気持ちになりましたね。
 もうないものにこだわっても、前を向いてすすめません。コロナ禍が去ったとき、なにが大切なものになるか。
 元の状態に戻ることを希望しがちですが、それまでとちがう、何かを見つけなさい、ということでも、もしかしたら、あるんじゃないか。人生の宝物が、どこかに隠れているかもしれません。
 いまは、それを探している途中です。きっと、だれもが、そうかもしれませんね。
 きょうは、窓からの日の光がまぶしいです。
 みなさんにとって、いい日でありますように……