脳性まひ者 しんやのひとりごと

脳性麻痺による両上下肢機能障害と共に生きる筆者が、折にふれ、浮かぶ思いをつづる。

祈りに力を込めて

 寒い冬に冷たい川で流され、慌てているところで目が覚めた。まだブルブルと寒気がしていた。いつも、こんなたぐいの夢ばかりだ。
 きょうは、令和五年十二月二十一日である。今年も、あとわずかになった。
 えいっ! かけ声をかけ、寝返り、横を向く。まくら元の電機敷布のダイヤルを回す。手がいうこときかないときは、頭を上げ、あごで調節する。
 布団の中がだんだん暖まる。ほっとすると、すぐにヘルパーさんの訪問で、七時に起きることになる。
ーー布団から出たくねえな。あと五分か……。
 まくら元のリモコンで、テレビをつける。
 画面から流れてくるのは、だいたい決まっている。情報番組〈Zip〉の〈水卜あさ美と一緒にあさごはん〉というコーナーだ。
ーーこのアナウンサーさん、おいしそうに、食べるなぁ。そうか、大人の男性に人気なのかもしれない。いや、女性のファンも多いのかも。明るくて愛嬌があるしな。朝食時間の人たちは、いっしょに食べてる気分で見てんのかも。
 そうしているうち、おはようございます、と玄関から声がして、ヘルパーさんが起こしにやって来る。
ーーあぁ、時間か。

 以前は朝食時、つけていたテレビから、楽しみにしていた〈Zip〉の短いコーナーが流れていた。〈星星のベラベラENGLISH〉という、ワンポイント英語レッスンである。
 学生服姿の米倉れいあちゃんが、着ぐるみのパンダから、英語を教えてもらうあれだ。
 れいあちゃんの透明感の漂う天使のような笑顔に、いつのまにか癒やされるようになっていた。子どもに返ったようになり、きょうも、がんばれる、と元気をもらっている自分がいた。もちろん、食事介助のヘルパーさんがいるから、ポーカーフェースで、口をもぐもぐしているだけである。ヘルパーさんが介助しながら、そのテレビをみて、
「わたしらには、知らない子だよね?」
 ぼくも興味がないふうをよそおって、食べ物を飲み込み、
「そうですね……」
 というやりとりを、たまにしていただけである。
 あのテレビのコーナーに、れいあちゃんが出なくなり、時が流れた。ぼくも中身は置いてけぼりで、年ばかり増えた。大人として振る舞う演技に、ますます磨きをかけなければならない状況になっている。そして、れいあちゃんも、ほかのテレビ番組でもみなくなり、なんだか寂しい日々を過ごしていた。
 いつのまにか、きょうも日が暮れて、テレビをつける。明日はさらに真冬の寒さになる、と気象予報士が伝えていた。
ーー今夜は、電気敷布の設定温度、ちょっと上げて寝るべ。どうせなら、いい夢がみたいもんなぁ。寒いからって、川に流されるような夢は、ごめんだよ。
 布団を掛けてもらって、電気を消し、就寝介助のヘルパーさんが帰ったら、
ーー魔法使いよ、出てきてくれ。どうかこの、哀愁漂う冴えないオッサンを、イケメン少年の姿に変えてくれ。さすれば、れいあちゃんに会えるんだ。いっしょに遊園地で、遊ぶんだ。
 祈りに力を込め、静かに目をとじる。

宝さがし

 おはようございます。
 コロナ禍になって数年は、生きていくうえで大切にしていたものが、ひとつ、ひとつ、またひとつ、天から取り上げられたようで、戸惑う日々を過ごしていました。
 何か発信するといっても、不平、不満、愚痴、泣き言になるんで、発信は休んでいました。体調が、どうこうではないのです。
 気にかけて連絡してくれる人がぼくにもいるんだなぁ、と元気をもらえたことがありました。ふんばるぞ、と思いましたね。感謝です。
 ぼくが大切にしていたのは、なにか。
 まず、介助者がつかないで、電動車いすで町を散策することです。それができなくなりました。マスクをしなければならず、ずれたり外れたりすると、不自由な手では直せません。

 ひとりで散歩していると、通りすがりの人が、
「きょうは、あったかいね」
 とか、
「買い物ですか?」
 とか、ほんのひと言でも、あいさつていどの言葉を交わすだけなのですが、それだけで、がんばる勇気が湧いてきます。
 介助者といると、介助者のほうにばかり声をかけてお話ししている人が多くなります。そんなときは話が終わるまで、こちらは静かに待っています。そうせざるを得ない空気があります。
 たぶん、ひとりでいるとき声をかけてくれる人と、介助者にたいへんですねぇとかしゃべっている人とでは、意識のちがう、別々の人じゃないか、とぼくは思ってみたりします。知らないことは、誰にでもあり、どちらがいいとか、わるいとかはいえません。
 なくなった近くのスーパーも、地域の人とふれあえる場でした。品物を棚に並べている店員さんにも、仲よくしてくれる人がいて、お互い、うしろから「オッハー」とおどろかせあって、遊んでいました。そういうときは、子どもに返った自由な気持ちになりましたね。
 もうないものにこだわっても、前を向いてすすめません。コロナ禍が去ったとき、なにが大切なものになるか。
 元の状態に戻ることを希望しがちですが、それまでとちがう、何かを見つけなさい、ということでも、もしかしたら、あるんじゃないか。人生の宝物が、どこかに隠れているかもしれません。
 いまは、それを探している途中です。きっと、だれもが、そうかもしれませんね。
 きょうは、窓からの日の光がまぶしいです。
 みなさんにとって、いい日でありますように……

悩ましいマスク

 ダウンジャケットにカッパを着せてもらって、午前十時過ぎに外へ出た。用足しである。
 令和四年十二月二十二日、冬の雨は冷たくて、身にしみた。
 電動車いすで歩道を進んでいく。行き交う車を見ようとした。マスクが襟に引っかかり、
「まずい」
 目がかくれそうになって、とまる。後ろをついてきてくれていたヘルパーさんへ、
「マスクを下にひっぱってもらえますか」
 ぼくは手指が、あまりいうこときかない。マスクがよく動くので、直してくれる介助者がいないと、電動車いすはあっても、ひとりではこわくてどこへも行けなくなっていた。
 おまけに言語障害があり、マスク越しでは、さらに言葉がこもってしまう。関わりなれている人でさえ、ぼくが何をしゃべっているのか、聞きとりづらくなる。外へ出ても、やりとりする人が限られてしまうのは、さびしい。
「このマスク、来年は、はずして外へ出れるようになりますかね」
「オザキさんにとってマスクはネックというか、壁ですからね。はずせるようになれば、いいですね」
 そんなやりとりを介助の人としていたのは、一年前の今ごろだったろうか。SNSで仲間と、
「今年こそ、みんなで集まって、忘年会したいね」
 なんて、やりとりしていたのは、今年一月だった。
 コロナ禍は静まっていくかとみせて、ぶり返す。このウイルスが日本で暴れ出し、もうすぐ三年になるのだろうか。ニュースで流れてくるのでは、この冬、さらに勢いを増しているようすだ。
 もう、どうあがこうと、なるようにしかならないし、なるようになっていくだけなんだろう。
 それなら頭を静かにして、目の前のことを、たんたんとやっていくだけだ。そうしていれば、そのうち何かが、ひらけてくるんじゃないか……。
 とにかく外は雨が冷たくて、カイロでも貼らないと、話す声までふるえてくる。用足しから帰ると、先に急いでヒーターをつけてもらった。
 そういえは、朝に起床介助にきたヘルパーさんが、冬至だよ~って、言ってたんだっけ。
 いちばん夜の長い時期になっているのか。そうか、冷えるわけか。