部屋の窓

脳性まひのぼくが、自分を愛するために、箸の先で書きつづる思い

孤独とリアリティ

 おはようございます。
 ぼくんち(アパート)のまわりは、カラスの鳴き声ばかりがしていました。
 きょうは土曜日、ゴミ出しの日でもないし、何しているんでしょう。こんなに寒さが厳しいときも、元気な声です。
 気づけば二月に入って、豆まきも、立春も、過ぎていました。なんだか日々の(ヘルパーさんとの関わり)ことで、ひとりでいられる時間までヘトヘトが残って、思いを言葉にする意欲も出せずにいたら、こんなに日がたっていました。
 ヘトヘトだというのがいけないのかもしれない。運動をしたんだ、と思い直してみたら、元気が出るかも…、と、ちょっと対策、というか、思案していました。
 ぼくたちが生きているのは、リアルな社会であり、お花畑じゃないのは、障害のあるなし、肌の色に関係なく、多くの人がそうだと思っています。けど、疲れてくると、それも忘れてしまうんですね。
 みなさんも、似たようなことは、あるんじゃないでしょうか。
 ぶっちゃけ言えば、ぼくは作文が苦手です。でも言語障害があって、口はあまり使い物にはなりません。このリアルな社会では、意思を伝える手段を持たないと、荒波に振り回されているばかりです。その危機感から、勉強のたいせつさを思うようになりました。
 若いころは、この苦手な作文を、なんとか克服できないか。もっと楽に文章が書けるようにならないか。文章の書き方、テクニックに関する本を、根性いれて読みあさっていました。だいじなところはワープロに打ち込んで、ためていきました。
 通信教育も少しうけました。そのときの先生は優しくて、ほめてくださいましたが、下手なのは自分でわかります。そしてそれにこだわって、テクニック、完璧さへ近づくための追求に走っていたなぁ、とふり返って思います。
 今はむしろ逆に、正直な気持ち、世間におもねらず、ひとの機嫌もとらない、こういうなんというか、とにかくリアルをどう書くか、が大事になりました。
 かぎられた時間で、カラスのようにたくましく鳴いて、声を出していく。生きることのあかし、とおもっています。