脳性まひ者 しんやのひとりごと

脳性麻痺による両上下肢機能障害と共に生きる筆者が、折にふれ、浮かぶ思いをつづる。

マスクごし

 電動車いすに乗せてもらい、うちの近くの公園をひとりで散策していたが、かえって息苦しくてくたびれるから、しばらくやめていた。
 うちを出るとき、マスクをしなければならないからである。
 伊達メガネで押さえる方法は思いついた。それでもマスクは動いてしまう。マスクがずれて目隠しになったとき、手が思う通りに動かず、なおせない。助手が必要なのである。
 新型コロナウイルスが流行りだしてから、ひとりでの散策はひかえていた。ずっとうちの中にいるのも、息がつまってくる。電動車いすでおもてに出れば、すれちがう人が、こんにちは、とか、きょうはあったかくていいですね、とか、自然な雰囲気で会釈してくれる。脳性まひの症状でかってに力が入り、ぼくの顔がゆがんだり、手もかってに動いてタコおどりのようになる。びっくりしてみる人がここ数年いなくなり、ふつうにあいさつしてくれる人がふえていた。
 短い期間になぜか。たぶんみる感じぼくと似たような障害のある車いすの人が国会議員になり、助手に指示しながら自身の意見を工夫して伝えるシーンがテレビで流れた。それによって、
「体が動かなかったり、うまくしゃべれないだけで、話はちゃんとわかるんだ。わたしたちと変わらないじゃん」
 という理解が進んだ面もあるのでは、とおしはかってみたりする。
 そういうやりとりが街で増えてきたのが、ぼくにはうれしかった。ただ、言語障害ではっきりしないぼくのことばは、マスクをつけるとさらにくぐもって、何を言っているか、相手の人が聞きとれない、という悩ましさがいまはある。
 それでも食材を買いにヘルパーさんに手助けしてもらいながら、近くのスーパーに行っていた。コロナ禍のせいなのか、なぜかこの前閉店してしまったが、心に残る出来事があった。その店内でメモに書いた食材をヘルパーさんがみて買い物かごに入れてまわっているあいだ、ぼくは電動車いすを操作しながらひとりでメモった以外のものを見て回る。電動車いすをとめて眺めていると、
「おっはー!」
 うしろのほうからぼくの両肩をさすり、笑みをうかべた白髪のおじさんの顔がのぞく。しばらく見なかったけど、来てたの? ときかれ、ぼくはうなずき、来てたよ! と答える。いつも品物を運んで棚にならべている従業員さんと、そうしてはなしをするようになっていた。
 お客さんからも、この電気の車いすって、免許とか、いるの? ときかれる。免許はいらないけど、ぼくのばあいは、訓練してOKになったんです。そう伝えると、
「あたしも、ほしいなぁ、と思ってね」
 年配のご婦人さんで、道が遠いと、足が痛くて歩くのがたいへんでね……、とため息まじりに呟く。それがきっかけで、声をかけてくれるようになった。
 人が込んで、電動車いすで進むも退くもできなくなった。困ったな、と途方に暮れる。そっと、
「どこへ行きたいの?」
 眼鏡をかけた老紳士のお客さんだった。マスクごしではことばが聞きとれないと思い、
「あっち」
 といって、顔をそのほうへ向ける。
「あっちに行きたいの?」
 ほかのお客さんたちに、あっちへ行きたいんだって、と伝えて道をあけてくれた。
「ありがとう」
 そういう言い方をしたのも、言語障害ではっきりしないのに、マスクごしで〈ございます〉とつづけると、かえってごちゃごちゃして伝わらなくなるからである(ゆるしてください)。
 どこへ行きたいかきかれて、いい年をしたオッサンが〈あっち〉、なんていっている。本人はけんめいにそう伝えているのだが、われながら子どもじゃないかとおかしくなりながら、じんわり温かなものが胸にひろがっていた。