脳性まひ者 しんやのひとりごと

脳性麻痺による両上下肢機能障害と共に生きる筆者が、折にふれ、浮かぶ思いをつづる。

パソコン壊れて さあたいへん

 膝立ちで体のほうを移動させ、げんこつの角を、ボタンにあてる。逆に体を固定し、うでを動かそうとすると、そのうでがあらぬほうへばかりいくからである。これで立ち上がってくれるはずのパソコンが、その日はようすがちがった。
 DVD、CDのドライブのランプがつき、カタカタ音がしたあと、ハードディスクが動かず、消えてしまった。と思いきや、ドライブのランプが点り、消える。同じ動作をくり返す。
 こりゃ、困ったなぁ。
 脳性まひの運動神経に関わる障害で、手指があまりいうこときかない。言葉を話すにも、舌が回らず、はっきりしない。慣れないところへ用があって電話をかけると、
「どちらさんですか。朝っぱらから、酔っぱらってかけないでください!」
 ガチャン、と切られること数知れず、小心者のぼくは、なんど経験しても、そのたびショックなのである。
 セールスマンからのときは、まだ40代だというのに、舌が回らず、言葉がはっきりしないからだろう。入れ歯と、まちがえられ、
「あのう、おじいちゃん、息子さんか、お若い方はいらっしゃいませんか」
 子どももいなければ、家庭もないさ。浮いた話もなく、目の前のことに追われるうち、いつしか白髪もふえ、哀愁漂う冴えないオッサンになってしまった。あんまりじゃないか、と思うのだけれど、もう面倒くさいので、こちらも演技し、対応してやる。
「若いもん、みんな出払って、いねんでがす」
「何時に帰ってこられますか」
「さぁ、若いもんだづのごだあ、知ったもんでね」
「そうですか。ありがとうございました」
 電話が切れたあと、なんだか情けなくなる。
 話はそれたが、外との連絡には、パソコンのメール機能が欠かせないわけである。
 介助者がいないと銀行へ行けないから、金の管理もパソコンでやる。買い物のたび、家計簿ソフトへ自分で金額を打ち込む。それがすべて、できなくなり、途方に暮れた。
 昼のヘルパーさんがくるなり、
「昼食はコーンフレークに豆乳だけでだいじょうぶです。その前にパソコンが壊れたんで、修理屋に電話してもらえますか」
 介護サービスの訪問時間がかぎられているから、そうしてやりくりする。タウンページを開いてもらい、何社かリストアップ。いちばん早そうなところに依頼してもらう。
 夕方に業者さんがみきて、重傷だったので持ち帰った。
 さあ、買い物のあと、金の管理はどうするか。
 そうだ、電卓があった。計算してメモに書いてもらえますか、とヘルパーさんに指示するが、
「7のボタンがきかないみたいです」
 なに~、電卓も壊れてるのかい、とほほ、である。
 携帯に電卓の機能があるかも、と教えてくださったヘルパーさんがいた。8年も使っているのに、どんな機能があるか理解していなかったガラケー。さっそくメニューをみると、あった、電卓の機能が…。
 外との連絡は、しばらく携帯のメールを利用したが、なにしろボタンが小さいうえ、間隔がせまい。手指が利かないので、こちらも割りばしをつけたサンバイザーをかぶり、頭を動かしてボタンを押す。一通ごと、首と肩が痛くなり、
「アテテのテ~」
 空へ向かってわけのわからんうめき声をあげる。もう限界~。ため息をついていると、携帯が鳴った。修理屋さんである。
「パソコンが直りましたんで、これから伺ってよろしいですか」
「はい、お願いします」
「わかりました」
 いちどお会いすると、ぼくのはっきりしない言葉でも、聞きとってもらえるようになるようだ。
 待ちに待ったパソコンが届いた。原因は、メモリーの故障で、ついでに初期不良の部分、電源ボタンの引っかかりがあったのも、けずって直してくださった。
 自分で使えるようにセットしてくださり、調子がわるくなったら、また連絡ください、今回修理させていただいた部分は保証がききますんで、と親切な方だった。
 手足、言葉の不自由なぼくが、地域生活を送るうえでは欠かせない。パソコンがないと、連絡の不便さだけではない。自分で管理できなくなる部分が多くなり、それが心細かった。はたからみれば、変かもしれないけれど、ひとりになるとパソコンに向かい、
「いつも支えてくれて、ありがとう」
 ほおずりしたくなった。