脳性まひ者 しんやのひとりごと

脳性麻痺による両上下肢機能障害と共に生きる筆者が、折にふれ、浮かぶ思いをつづる。

ちいさなたのしみ

 しんと静まりかえった夜、部屋で布団に寝ていると、虫の声が外からしてくる。もう秋か、とひとり呟く。
 会う人だれもが、
「なんか、ことしは、早かった気がするなぁ」
 微笑しながら、ぼくもうなずく。
 千年に一度ともいわれる大きな地震があった。長町南仙台市)のぼくのアパートの部屋も散らかった。電子レンジや炊飯器が落ちた。トイレの床が水に濡れた。
 しばらくそのままようすをみていたけれど、余震がおさまらない。建物が倒壊するかもしれない。夜の八時半にみえたのは、物静かな三十代の男のヘルパーさんだった。
「このままだと心配なので、避難して一晩、ようすをみませんか」
「そうですね」
 ぼくはうなずいた。そのだいぶ前、役所の人にきいた。
地震が起きたら、どこへ避難すればいいんでしょう」
 脳性まひ、という障害で手足が不自由、ことばも満足には話せない。介助がないと食事もトイレもできないし、バリアフリーへの配慮も必要である。
「いちばん近い小学校へ、まずは避難してください。そこから、体の障害の状態に合ったところへ誘導されますので…」
 訪問していたヘルパーさんに、小学校の避難所のようすをみてきてもらった。
「トイレがちょっと、むずかしそうなんで、設備のある区役所に避難したほうが、安心かもしれません。行きますか…」
「そうですね、そこにお願いします」
 夜の九時過ぎにアパートを出た。どの家の窓も明かりはなく、道は暗かった。車いすを押してもらいながら、避難所へ向かう。ヘルパーさんが、尾崎さん…、と大きくため息をついた。
「皮肉なもんですね。こんなに星がきれいな空なんて、何年ぶりだろう」
 思わずぼくも、見あげる。オリオン座、北斗七星、北極星がくっきり輝いていた。
「ああ…、ぼくも、もう何年ぶりかです」
 区役所で一晩すごす。毛布を二枚かけてもらったけれど、寒さでほとんど眠れなかった。余震はずっとおさまらず、あちらこちらで悲鳴があがった。
 もう少しケアの体制の整った特養施設へ、区役所の職員の配慮で避難することになる。
 あれからもうすぐ、六ヶ月になろうとしている。いまはアパートの部屋で、いつもの日々に戻り、夕べも静かな夜だった。
 平成二十三年九月二日、ベランダの窓を開けてもらうと、ひんやりした心地よい風が吹き抜けた。
 近くの道を車が水しぶきを上げて行き交う。外は雨が降りしきっていた。こんどは規模の大きな台風が、南のほうでゆっくりと北上しているらしい。
 ベランダのほうを開けてもらっていたけれど、しだいにむし暑くなってきた。
 サンバイザーをかぶり、頭を動かしながら、パソコンのキーをひとつひとつ打っていく。運動神経の障害で、自分の意思に関わらず、強い力が入る。背中が汗ばんできた。
 ふうっと息をついてベランダへ目をやると、レースのカーテンがぬれていた。風が強くなってきて、雨が吹き込んだようだ。昼近くにみえたヘルパーさんに窓を閉めてもらう。
「今週末、土曜と日曜、台風で荒れるみたいですよ」
 いろんな人から聞いていて、今週末は、出かける予定を立てずにいたが、正解だったようだ…。
 各地で起きているゲリラ豪雨のようすや高波の映像が、テレビから流れてくる。
 この台風が去るまでは、何日かかかるだろう。
 ひと息ついて、カレンダーをみる。
──風呂の日か。今夜は何があるんだろう。
 番組表へ目をやる。いつもみている〈美男ですね〉というドラマが十時にあった。
 入浴の介助にみえていた小太りの三十代の男のヘルパーさんが、
「韓国ドラマの日本版に出る女の子、名前、わかんないんですけど、かわいいなぁと思いまして…」
 おそらくドラマは、〈美男ですね〉だろう。そして、かわいいと言っていたのは、わけあって男のふりをしていなければならない役を演じている、瀧本美織という十九、二十歳の女優さんのことだろう。
 なんとなく気になってみた。切ないけれど、コミカルなところもあって、気晴らしになるドラマだった。
「尾崎さんはやっぱ、志田未来とか、いいんですよね」
「どうして知ってるんですか」
「ブログ、みてますから」
「ハハハハ、まいったな」
 介助のときはなぜか、ぼくの頭がそのヘルパーさんのおなかにあたって、何度かはずむ感じになる。
「…ああ、すみませんね。なんでこんなに、おなかがでっかくなったんだろう。もうすぐ食欲の秋で、さらに大きくなったら困りますよね」
 とジョークを飛ばす、目の細い、人のよさそうな顔が浮かぶ。
 どのヘルパーさんがみえるかわからないけれど、風呂上がりは、缶酎ハイでほろ酔い気分になり、そのドラマをみるのがきょうのたのしみだ。
 よし、がんばろう。
 割りばしをつけたサンバイザーをかぶり、パソコンのキーを打つ。
 ひと息ついて、窓の外へ目をやる。一日でもいいから、ぼくもイケメン男子になって、あのころ片思いだった、あの子に会いたい。今夜は降りつづくかもしれない雨の音が、そんな安らぎの中へと誘ってくれるだろうか…。